親や先生から、『もっと良い学校に行けるように、勉強を頑張れ!』と言われたり、『成績や偏差値が落ちてるじゃないか』と怒られたりしたことはありませんか?
私もそのように言われ続け、少しの成績の上下で一喜一憂していた時期があり、特に高校時代は、大学に行ってしたいことがあるというのではなく、とにかく少しでも偏差値の高い大学に行かないといけないんだと激しく思い込んでいた1人でした。もし高校生時代の私に1つだけアドバイスをすることができるなら、『そんなに偏差値を気にしなくていいよ』と言ってあげたいですね。
そう思う背景には、それを気にし過ぎていたことで、強いコンプレックスを抱いて、大学時代を思い出したくもないほど苦い経験、価値のない4年間にしてしまった私の実体験があります。
もし、進路に迷ったり、成績等で悩んでいる人で、これを見てくれる人がいれば、過去の私を反面教師にして、より楽しく実り多い人生を送るためのヒントにしてもらえたらとうれしいです。
社会に出たら学歴が気になることはほぼない
私は高校時代まで進学校に通っていたこと、両親が非常に教育熱心だったことなどもあり、成績や偏差値を自分を測る最も重要な指標のように感じ、成績が思うように上がらないと、自分の努力全てを否定されたような気分になり、落ち込むこともよくありました。
そんな私が、第一志望の国立大学に落ちた時は、人生が否定されたように感じ、そのまま滑り止めだった第二志望の私立大学に進学したのですが、あまり入りたい学校ではなかったという想いと、今思えばそんな想いを持っていたことも災いして全く大学に馴染めなかったため、何をしていても楽しくなく、大学には不登校気味になり、ずっと鬱々として、とにかく大学に行くのが辛かったという記憶だけが残っています。
ここで問題なのが、本当は行きたっかったけど落ちてしまった第一志望校と、私が実際に卒業した第二志望校の偏差値の差はほぼなかったということ。国立と私立という差があるため、受験科目は全く違いますが、どちらも偏差値65前後と書かれているものが多く、一般的には同レベルのため滑り止めにはならないと言われているような関係性の2校でした。
そんな僅かな偏差値の差に思い悩み、途中で何度も、仮面浪人したい、大学を受けなおしたい、辞めたいと親に訴えていました。今になっては、4年間で400万円近くもの学費を出してくれた親には申し訳ないことをしたと感じますが、当時、学歴や偏差値に支配された『学歴至上主義』の考えにどっぷりはまってしまっていた私には、学歴や偏差値こそ自分を評価してくれる全てだったんですよね。大学名を言うことが恥ずかしいと、完全なる学歴コンプレックスをこじらせていました。
そんな学歴コンプレックスがなくなったのは、社会に出てからです。同じ銀行の同期に、私が憧れていた大学の卒業生も多く、その人たちと、出身大学が違うことで、何か差別や区別をされることも全くなかったことで、やっとそんなに気にする必要はなかったんだと思えたんです。
ベンチャー企業に転職したら、そこはさらに学歴なんて全く関係のない世界で、中には中卒の人も、旧帝大卒の人も一緒に働いていました。実力がすべての世界では、最終学歴高校中退の人の部下が、東大卒なんてことも普通にありますし、こんな風に、学歴や偏差値の多少の差は、社会に出てしまうとほぼ関係がなくなることがほとんどです。
もちろん、大企業を中心に、大卒でないと管理職になれない場合はありますし、大卒と高卒では生涯所得に大きな差が出ていると聞きますが、それは恐らく学歴だけが原因なのではなく、学校を卒業してからの努力の差なのではと感じます。学歴が低いことで、最初誰でもできる機械的な仕事に回されることが多いというのが、生涯年収の差に表れているのかもしれませんが、そこをどう抜け出すのかはその人次第です。
会社に入ってから、取り合えず目の前の仕事をルーティンのようにこなし、10年、20年経ってもほとんど仕事内容が変わらないような働き方をしていたのでは、大卒だろうと、高卒だろうと、評価されなくて当然ですよね。
偏差値10の差は意外と小さい
例えば、東京の私立大学で、慶応大学や早稲田大学を偏差値70とするならば、偏差値60に当たるのは学習院大学や日本大学あたりでしょうか。
受験生にとっては、この偏差値10の差を埋めるためには何百時間もの努力が必要となり、恐ろしく高い壁のように感じてしまうこともあるでしょうが、社会に出てしまうと大した差ではないことに気付きます。
入学試験というのはある意味残酷で、1点の差で合格・不合格という明暗がハッキリ分かれますが、よく考えたら、単に、ちょっと数式や英単語、史実などを他人より多く頭に詰め込めた人が絶対的に偉いなんてことはおかしいんです。
偏差値があなたの価値を決めるのではなく、どのように努力し、何を学んできたのか、どのような能力や考え方を持っているのかが大切なだけです。
特に、私のように独立をしてしまえば、出身大学の違いが問題になることはまずありません。あっても、同じ大学の先輩や後輩に出会った際に、同じですね…と少し話のきっかけになる程度です。
どこで学ぶかではなくどのように学ぶかが大切
ここまで、学歴や偏差値なんて社会に出たら関係ないと言ってきましたが、私は別に大学に行く必要はないという考えの持ち主ではありません。やりたいこと、学びたいことがある人は行ったら良いと思っています。その学びたいことがまだ見つかっていなくても、大学に行っている間に見つけたいと思っているといった理由でも十分です。
私のような文系の学生にとっては、大学の4年間はモラトリアムともいわれる自由な時間で、意欲さえあれば、大学の内外で様々な経験が詰めます。例えば、学生という身分を利用して、興味のある複数の企業の中でインターンとして働いてみることも可能です。ある企業に就職しながら、他の企業でも…というのは会社員という立場では様々な弊害があり、かなり難しいことなので、学生の特権と言えるでしょう。
大学も会社もそうですが、どこに入るかはそこまで重要ではありません。そこに入って何を学び、どう生かすかです。
単に、偏差値や企業規模といった数字でそれを選ぶのではなく、自分は何がしたいのか、何を得たいのかという視点を持つとまた違った世界が見えてくるはずですよ。
偏差値はただの数字
学生にとっては、非常に大きな意味を持つ偏差値という数字ですが、10年も経てばあれはただの数字だったんだと思える日が来ると思います。
そして、学生時代より、社会に出てからの方が何倍も長いので、どこを卒業したかより、卒業してからどのように努力して、何を身につけるかの方がずっと重要なんです。
だからもし、少し成績が下がったとか、行きたい学校に受からなかったと悩む人がこの記事を読んでくれていたら…そんなに思い悩んだり、昔の私のように卑屈になるのではなく、今を楽しんでくださいね。